【有心論/考察2】マイルド死生観と『左心房』【酸素は大事】
どうも、限りなく、梅です。
「なんで左心房に君がいるのか真面目に考えて結論出た人いる?」
(つまるところ、要するに、)
「全身に血液を送り出すのは左心室なのに、左心房に君がいると表現したのはなぜ?」
というフォロワーさんのつぶやきを見て真面目に結論を出してみました。
分かったこととしては、「左心房」が有心論を今日のCMやライブのクライマックスに使われるほどの名曲に引き立てるのに欠かせないワードだったということだ。
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※blog内には、歌詞考察のために生死に関する表現が多用されていますがご容赦ください。
※blogなので、思考のままに綴っています。とりあえず結論が知りたい人は、<<歌詞との照合>>からお読みください。
<<視点2:洋次郎の死生観>>
この視点では、曲の後半から出てくる「呼吸」「命」に関する表現から、洋次郎の価値観をひも解く。
「呼吸」に関する2つのフレーズ
A:だから君がいないその時は 僕は息を止め待つ
B:息を止めると心があったよ そこを開くと君がいたんだよ
この「息を止める」という表現の微妙なニュアンスの違いを探る。
まず、Bの表現は具体的で実感のわく表現。
僕たちは普段から心臓の動きや形に意識をとめていない。
だが、実際に息を止めていると、心臓の鼓動が速くなり、普段は意識していない心臓の位置(心の音)が分かる。
一方で、Aの表現はどこか抽象的な表現になる。
はじめは、
「誰も命を無駄にしないようにと願う君」に向けて、
「息を止めてるから早く側に戻ってきてくれないと死んじゃうよ?」
という2人のやり取りをイメージしたけど、 これだと曲全体との違和感を感じるため、一語一句を丁寧に追ってみた。
すると、次の歌詞の接続詞が、以下から始まるんだよ。
するとね君は
「~する+と+ね」が使われていることから、「(実際に)息を止めて待つ+と+ね」という文脈になる。
(これは読解問題。[前後の分が適切になるように、空欄に入る接続詞を埋めなさい。]だ。勉強をしておくと、こんなことに役に立つ。頑張れ、学生!)
実際に洋次郎は息を止めて待っていたのだろうか?
人間が息を止められる時間は、成人男性でも約1~2分が程よい所だろう。
仮に、洋次郎が本当に息を止めて彼女を待っていることができるとしたら、
ギネス記録保持者、もしくは呼吸を超越した修行僧的な立ち位置なのか。それにしても無理が出てくる。
Como curar as aftas na boca - Remédios caseiros
あくまでも実体験の恋愛がもとになった曲なら、ここでは別の解釈として読み取れる。
では、”息を止める”という表現の裏に隠れたもう一つの視点とは何か?
梅的解釈から言うと、ここでは
「息を止める = 自己嫌悪/自己否定」だ。
解釈を詳しく説明すると、
「息を止める=肉体的な死」
「自分の存在を否定し続ける=精神的な死」
この2つを集約して、
「息を止め続ける=酸素不足」 ⇔ 死 ⇔「 存在の消失=徹底した自己否定」
という連想性が成り立つ。
聴き手がどこにピントを合わせて共感をしても洋次郎のメッセージにいつかたどり着く方程式になっている。さすがだようじろう。
これを裏付けるのが、冒頭の3フレーズだ。
今まで僕がついた嘘と 今まで僕が言ったホント…
自分の中の嫌いなとこと、自分の中の好きなところ…
どうせいつかは嫌われるなら 愛した人に憎まれるなら…
カラオケでも、どんなテンションで歌うのかいまいち正解が分かりづらいトーンで始まるこの曲。
初めは「なんかさえない曲だな」と思ってしまったくらい、不思議な入り。
前blogの解釈でも書いたが、このトーン、この歌詞、このリズムによって、
他人も自分も信じられなかった洋次郎を通して、
死を意識するほどの自己否定と向き合い続ける洋次郎の姿が見えてくる。
引用: Prairie Father: I Hate Winter
なお、タイトルにつけたマイルド死生観とは、
マイルドな当たり障りのない価値観という意味ではなく、
自分、死、愛という抽象的なものを、
他人から嫌悪・否定されにくいマイルドな表現に近づけることで、
自分の内側を何とか伝えようとする価値観
という意味だ。
少し胸が苦しくなるような歌を歌うこともあったけど、自分と向き合い続けてる洋次郎だからこんな素敵な歌を作れるんだよね。
自分にも似たような価値観があり、むりやり自分と重ね合わせて解釈をしてるところもあるというのは内緒。
あふれ出す思考を、誰も傷つけないように、でも自分に嘘をつかないように表現することってとても難しい。
書きたいこと、書かなきゃいけないこと、書いておいた方がいいこと、書いたらまずそうなこと。
色んな視点で物事を見れる洋次郎からの曲だから、1曲1フレーズ1語1句すべてに意味があると思っているし、
自分から生まれた言葉が、自分の手の届かない範囲で人の人生に影響を与えていることだって気付いているよ。
音楽という自分を表現できるツールや自分を保つものに巡り合えて本当に幸せだと思う。音楽と出会ってくれてありがとうとこっそり伝えたい。
そんな正直な洋次郎の心の底にある、発信者としての勇気や覚悟にまで想いをはせて寛大に考えてみたいのです ´∀`
感受性が高く、人に優しく、繊細で、音楽と言葉に向き合う姿がワテシは大好きなのである。
<<歌詞との照合>>
あらためて、「死」と「自己否定」をつなげて、曲後半を解釈していく。
誰も命無駄にしないようにと命に終わりを作った君
そんな君に中毒かってくらい夢中な僕は
君の存在を感じられないとすぐ自己否定に走ってしまい
助けに来てくれる君を待ってしまう
明日を楽しみに思えるほど新しい自分になり始めたと思っていたけど、
君と別れてまた自分を否定し続ける昨日に逆戻りだ
息を止めると心があったよ
(息を止めると、心臓の音が聞こえてくる。)
(自分を否定しようとすると、心の音が聞こえてくる。)
そこを開くと、君がいたんだよ
(自分の心と向き合ってみると、そこには君の存在があった)
左心房に君がいるなら問題はない ない ないよね
(君が僕の心を浄化してくれるなら、僕が自分を否定したとしても問題はないんだ)
ここで急速に結論へと向かうよ。
やっとお待たせ、
左心房の登場だ
「左心房」
:心臓を4つの空間に分けたうちの1つ。
:(肺を経由して)酸素をたくさん含んだ血液が送られてくる器官。
全身から集められた血液は右側の心臓(右心房→右心室)を通って、肺へと向かう。
→肺に送られた血液は、そこで不要なCo2と酸素を交換し、左心房へと戻る。
⇒その血液を左心室に送り、左心室の強い収縮によって全身に血液が送られる。
だから、洋次郎の中では、
仮に息を止めても(酸素を吸えなくても=肺循環ができなくても)、
体内に浄化装置があれば、それで生命維持できそうだから問題はない。
という現実的な論理と、
もしこの先に自分を否定したく(息を止めたく)なったり、実際にそうすることがあっても、君という存在が知っているから僕は生きていけるんだ。
という感謝のメッセージを、
「左心房」という限定的な名称を用いて表したのではないか。
これは前blogでも説明した通り、表現がより具体的な方がイメージの共有がしやすいからという狙いもあるとは思う。
それを裏付けるように、あのフレーズ「君は人間◯◯◯」が生まれたのかな?
洋次郎の頭の中は本当に面白い。
ここまで来たら、もう「左心房」が左心房である理由が分かったよね?
肺から血液が送られてくる場所。肺からの新鮮な血液が入らなくても、死にたくなるくらい自己否定をしたとしても、君の存在が左心房にああれば僕は人(僕)らしく生きていける。
だよ。仮にここで左心室に君がいることになったら、血液と一緒に全身ドッパーンだからね?
たった3行あれば書けそうな考察を、わざわざここまで引っ張ってきた俺もどうかしてるとは思う。
でも、少しは頭の体操になったと思うから、そこんとこはwin-winでいこう。
これで、将来、揚げ足取り―ズに「ウェーーーーイw」と言われても、徹底的に圧倒的に有心論破ができると思うよ、おめでとう🎉
…
ここまで説明しても、
いや、解せぬ!
その後の歌詞とのつながりが分からん!最後まで説明せんかい!
視点3つあるとか言ってたのに、1個足らんやん!
とか言ってくる人がいたら、君たちの顔にもアンパンをめりこまs、、、
あと1視点は、映画でいうエンドロールのようなもの。やはり最後の50秒なくして、この有心論は名曲として成立しない。
「心臓」というフレーズが出てくる他の曲とも絡めながら、さらなる洋次郎ワールドを読み取いていきます。興味がある方はぜひご一読ください🙋♂️✨
次blog:
【有心論/考察3】『左心房』から『心臓』へのバトン【ラスト50秒の謎解き】
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<著者プロフィール>
・三河で整体トレーナー&ヨガインストラクターをしている中肉中背やや細身男子。
・心身健康クリエイターとして、心と身体を穏やかに保つ情報を発信中。
・5年前に、地域でwimperさんが繋がれる空間をつくろうとオフ会を企画。
計30回以上、総勢100wimper以上の参加で、年に数回、30人規模のRADカラオケ会がメイン。
「人生を変えるキッカケ」と「人生を安定させる居場所」を造りたい。
初参加も、遠方からの参加者も大歓迎♪ RAD充 応援 計画、あなたの一歩を応援します!
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